ロックミュージックの黎明期

ロックミュージックの黎明期

原点はアメリカへと移る

それではここからは、ロックについての歴史について触れて行こうと思う、今更感が出てしまうので、当たり前な感じのないようにしたくは無いのでどうしたものかと考えた結果、それぞれの時代に応じて何があったのか、そしてそれらと照らし合わせることでロックという音楽が受けた影響などを考察して行きたいと思う。ロックという音楽が登場したのは1950年代頃、40年代にもそれなりに姿は見られていたが、現在までのロックというスタイルに合わせた物はおおよそ50年代から始まりとして考えて問題ないだろう、

まずこの項目では、そんな1950年代の状況とそれに応じたロックミュージックの誕生を見ていこう。

第二次世界大戦終了から約5年

1950年といえばおよそ第二次世界大戦が終戦してから数年の月日が経っていた、この頃になると日本に駐留していたGHQの支配から解放たれる頃合い、そして日本の激動とも言える再生の時代が始まろうとしている。そんな中、アメリカではエレクトリック、電気を利用したバンドによるR&Bバンドは誕生していた。そのころになるともはや生活に不可欠なものとして誕生していた電気だが、その電気を音楽の、音を拡張するために用いるために応用していた。この時よりそれまで生演奏でも響かせることが出来る範囲が限定されていた音楽のあり方を変える事となる。

そんな中、世界はとても不安定な状況だった。大戦こそ終了したものの、いまだに戦火の火種がくすぶっている中で、音楽でそれなりに騒がれているアメリカと、当時のソビエト連邦との間はとても冷え切っていた。音楽などがそれなりに盛んになり始めていたが、アメリカ国内では人種間によるわだかまりがいまだに残っているなど、大戦にこそ終了したが、アメリカを始めとしたあらゆる国々は戦争の爪痕を修復するのに躍起になっていた、そう捉える事もできる。

特に自由主義という名の元に独立を果たしたアメリカだが、内部では白人と黒人間で異常なまでのにらみ合いが続いていた、それはアメリカの北と南に分かれてしまい、さながらアメリカ版冷戦状態と揶揄することも出来る状態だ。この頃はまだ白人主義思考の強かった人々が多かったため、本来アメリカ国内に住んでいたネイティブインディアンを初めとする、黒人達に対して人権という言葉を阻害したかのような扱いを行っていた事は有名な話である。

そうした中登場したロックという音楽は、アレだけ世界を騒がした大戦後、いまだ内部分裂を起こして収集の手立ても取らないアメリカ連邦政府へのあてつけ、社会への反発という意志が絡んでいた事は言うまでもない。黒人からすれば何をするにしても白人を優先した物事の考え方、白人から一方的に受ける暴行の数々、かくして不満を持つ人々は増大していったことは言うまでもない。


元祖ロックンロールの帝王

そんな1950年代にて誕生したのが、現在までに語り継がれている元祖ロックンロールの帝王として、あらゆるアーティストから尊敬の眼差しを向けられていた伝説の歌手『エルビス・プレスリー』の存在だ。元はトラックの運転手として日々そつなく生活していたが、その後歌手として本格的に活動し始めたのは1954年ごろの頃。この頃から彼は転換期といわんばかりに、ロック=アンド=ロールという新しい道を歩み始めることとなる。

彼の作り出した楽曲はどの作品も初期からヒット作を連発し、混迷するアメリカ国内で翻弄される若者達の魂を代弁するかのような楽曲から、たちまちスター街道を驀進することになるまで、時間は掛からなかった。またアメリカではそれほどまで格式ある音楽を勉強するには少々時代も悪かったため、いずれは活動拠点をイギリスへと移そうと考えていた。この意志向上はそれまでのアメリカ人歌手には見られなかったモノで、本格的にヨーロッパへの進出を図っていた最初のアメリカ人ロッカーと言われている。ちなみに、それまで何処にでもいそうなトラック運転手だった彼が、突如としてスターへと上り詰めたところから生まれた言葉が『アメリカンドリーム』だ。

若者文化の象徴として

こうしてエルビス=プレスリーという一人の歌手の登場によってアメリカはもちろん、進出先のヨーロッパでも確かな成功を収めることに成功し、特にアメリカでは若者達のカリスマ的存在として祀りあげられるようになっていった。ただ彼の音楽に対してしかめ面を浮かべていたのは大人たちだ、子供に悪影響を与えてしまうのではと心配に声も実際に上がっていた。この頃はまだ凝り固まった感情がその足元で根をこれでも張っていたため、プレスリーのように音楽で表現されている内容はあまりにセンセーショナルすぎる、もしくは自分達にとってそんな物は必要がない音楽として見られていた。実際に彼が出演していたテレビ番組では、官能的なプレスリーの演奏スタイルを放送できなかったなど、今と違って社会的な風紀を乱すわけには行かなかったという部分が絡んでいたのだろう。中々に難しい時代だったことを良く知ることが出来る瞬間となっている。