多様性のある音楽へ

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ヘヴィメタルの登場

ロックミュージックを取り巻く環境は表向きは流行が続いている、市場としても非常に賑わっているといえる状況だったのはいうまでもないが、ただ本質的な部分でのロックからはかけ離れた存在へと昇華してしまった事はどうしても否めない。社会への反逆から、いつの間にか大衆性溢れる音楽への変容、かつてジョン・レノンが嘆いた『ロックが死んだ』という言葉をまさに象徴するような言葉だ。だがロック歌手という業界模様も決していいとは言えないものだった、とりわけ麻薬中毒者が蔓延しており、人間的な部分で本当にこんな人間達が歌い上げるメッセージ性に信憑性があるのかと疑い出す人が出てきてもおかしくない。そう考えれば音楽がどんな人にでも親しまれるモノでなくてはならない大衆文化ではなく、もっと根本的な部分で演奏する歌手達の資質や生活なども重要視されていたと見なくてはならない。薬をして思想や人格に何らかの影響をもたらす、精神的に安定していない状況において語られる楽曲内容が本当に説得力を持っているかどうか、その点についても考えさせられるところだ。

こうした内部事情も絡んでしまったがため、本質から逸脱するようになって行くロックミュージックだが、まるで軌道修正するようにして登場するのが1980年代の『ヘヴィメタル』という音楽ジャンルだ。コレはいい意味でも悪い意味でも、かつてあったロックミュージックの原点に近いものとなっており、それまでどうしても下火状態が長続きしていた時代を打破するようにその人気を挙げていくのだった。

またヘヴィメタルだけではなく、『オルタナティブロック』・『グランジロック』などと呼ばれる音楽も登場するようになると、ロックという音楽ジャンルも表と裏の関係が形成されることとなる。二極化の表れとも言えるが、表が大衆、裏が元祖に近い形を取ることとなる。ただアンダーグラウンドとして再度その存在感を示すようになるも、あまり褒められた内容で描かれた作品ばかりでは無く、かつての古き良きロックミュージックの形は既に損なわれてしまっている。


80年代の出来事

ヘヴィメタルという新しい音楽のスタイルが誕生したのは1980年代のこと、その頃といえば日本でも、世界でも歴史が動いた瞬間、または人によっては古き良き日本の全盛期といったような、そんな見方も出来るかもしれない。筆者はこの頃ぐらいに世の中にその形を成したが、まだ何をするにしても親の手を煩わせている時期だったこと、正直この頃の事はあまり覚えていないこともあって、1980年代についても記憶がない。しいて言うなら、その頃の自分も相当気まぐれな性格をしていたのか、今まで送り迎えをされていながら幼稚園から一人で自宅に帰宅するというアクティブさを発揮したらしく、幼稚園に騒動を巻き起こしたことくらいだ。親から聞かされた時にはやりかねるなぁと自分のことながら感慨深く感じてしまったものだ。

さて筆者の下らない昔話はさておきとして、80年代といえば何があったのかと分析してみると、日本という尺度で考えればやはり『バブル経済』だろう。コレはもちろん的な観点を持ってすれば重要な分岐点だが、ヘヴィメタルという文化を語る上では少しばかり異なってくる。だからこそここはロックの本場であるアメリカ、アメリカからイギリスへと輸入されて別の進化を遂げることに成功した、イギリスのロックを考察するため、世界という尺度で80年代を考えてみよう。まず大まかな出来事として、

  • 1:ジャン・レノン、射殺される
  • 2:モスクワオリンピックの集団ボイコット事件
  • 3:プラザ合意

この三つがやはり世界的に欠かせない出来事だろう。特に一つ目に挙げたジャン・レノンの射殺は音楽業界において衝撃だった事は予想するまでもないはず。かつてイギリスのロック文化において最先端に立ち、文化の変容とロックのあるべき姿が失われたことに嘆きの端を発していた彼の死は、多くのロック関係者ならびにファンに悲嘆を招いたに違いない。射殺された経緯については様々な憶測が流れている、ここで真実がどうこ話すつもりは無い。

やはり注目すべきはモスクワオリンピックへの集団ボイコットと、1985年に開催されたプラザ合意に着目すべきだ。どちらも世界情勢に関わる重要な点だからだ。ロックという反社会への叫びは薄れたが、それでも忠実にこの頃から地道に真のロックたる姿を維持し続けていた人はいたに違いないことだけは追記しておく。

冷戦の影響と為替レートの安定へ

この2つの出来事を引き起こしたのは何を言うにしても、モスクワオリンピックボイコットは冷戦による緊張から、プラザ合意はドル高を是正するために合意された経済の安定化という点だ。前者についてはアメリカと当時ソ連として覇せていたロシアの二大国間の緊迫状況から端を発した出来事、後者はアメリカが高インフレから脱却するために厳格な金利政策をしいたことから来ている。どちらも日本は無関係では無いため、あながち捨て置ける問題でもないのだが、ここは一端落ち着いていこう。

こうした社会情勢の中で、あらゆる出来事が巻き起こっていた激動の社会でロックという音楽もまた社会へメッセージ性の強い楽曲を製作していた人もいるが、一般的なもので大衆性を帯びることとなった楽曲が増え続けてしまったこともあり、かの姿を取り戻したとは言えない別の文化として、その形を取りなっている。この頃のロックは既に20年前に誕生したロック音楽とは全く別のジャンルになっていると見た方がいいだろう。ジャン・レノンの言葉を借りれば、その名の通り既に死んでいるといったところだ。